こんにちは。ニューヨークは来週から暖かくなるとの予報なのでこのまま春が来て欲しいなと思う今日この頃ですが、来週の火曜日はニューヨークがロックダウンをしたあの日からちょうど1年です。長かったようであっという間、でもやっぱり長かった1年でした。
実は昨年のロックダウンの直前の2020年の2月にNYに訪れた正智深谷高等学校の生徒さんたちに向けての講演会をさせていただきました。この講演会はNY de Volunteer というNYを拠点に活動しているNPO団体が主催するスタディツアーのプログラムのひとつで、実際にNYで働いている人の話を聞いて学生のみなさんが今後の学生生活やその後の人生に役立てるというもの。これまでも講演会はしてきましたが、高校生に向けてお話するのははじめてでしたので、少し緊張しましたが自分自身の学生時代とも改めて向き合うことができ僕にとっても貴重な機会となりました。
人生は常に岐路ですが、現在は特にコロナ禍の影響で周囲も自身も変化を求められている中で、今一度、この講演会で話したことを振り返りながら今後について考えていきたいと思い、今日の記事でまとめることにしました。
この講演会では、学生の頃から現在に至るまでの経緯をお話しつつ、今後の学生生活におけるヒントになるようなことをお伝えできるよう心がけました。
将来という言葉を聞いて思い浮かべるのは何歳?何年後?
まず、問い掛けたのがこちらの質問でした。僕が高校生の時は、将来と言えば大学生、またはその先の22歳の就職するあたりが将来だと考えていました。
僕は今41歳なのですが、高校生の時に40歳頃の未来を考えている人はなかなかいないのではないかなと思います。その理由はとても簡単で、想像がつかないから。高校生の時の僕は大学はどこを受験するか、どんな企業に就職したいか、すぐ近くの大きな転機のことを考えるのに精一杯で40歳頃の自分なんて到底想像もできませんでした。
ずっと先の未来のことを考えたり、語ったりするのはとても難しいことだと思います。実際のところ、僕自身、ニューヨークで働きたいと考えはじめたのは、30代になってから。高校生の時に将来はニューヨークで働きたいなんて微塵も思っていませんでした。
もちろん、今すでにそういったビジョンを持っている方もいらっしゃるでしょう。それは本当に素晴らしいことで、きっと実現の可能性も高いのではないでしょうか。
35歳になって、ようやくNYという山が見えました。それまでは、その存在さえ気づかなかったです。
将来への道のりは、山登りに似ている。
人生は登山だと、よく言われたりもしますよね。そこで、この講演会では登山を例にしました。彼等は高校生なので、高校というとても大きな山を登っているイメージをしてもらいました。とても大きな山です。僕も高校生の時は部活と勉強で忙しくて、毎日眠くて、親に叱られながら勉強したのを覚えています。とにかく、それだけで頭がいっぱいでした。
人は、登山している時はその山の頂上を見ています。とても大変だし苦しいし、目の前の頂上を目指すことに必死で他のことなんて考えられません。でも、その辛さを乗り越えて登頂できた時、その頂から広がる素晴らしい景色を目の当たりすることができます。きっとその景色は、想像以上のものでしょう。
少し話しはそれますが、幼稚園や小学校の低学年の時に持っていたプロスポーツ選手や宇宙飛行士になりたいという夢が他の何かに変わったことを「諦めた」と思っている人はいませんか。僕はそれは「諦めた」わけではないと思っています。
成長するにつれ、自分の世界が広がったりできることが増えた=小学生の頃に登っていた山を登りきって見えている景色が変わった。だから、将来の夢が変わったのは諦めたのではなく、プロスポーツ選手や宇宙飛行士ではない、他の「何か」を見つけただけなのかもしれません。
そして、その新しい景色が見られる山頂に立っていると、もっと大きな山があることに気がつきます。例えば、高校という山を登り切った向こうに大学という山が見える、その先には就職という山があって、それがどんどん続いていく、そんなイメージです。
こうやって僕はこれまでいくつもの山を登ってきましたが、今登っている山の頂上まで行ってみないと次の山が見つからないので、ずっと先の将来を想像することは意外と難しいんじゃないかと思っています。
苦しい時は上り坂、楽な時は下り坂。
人生はこの登山の繰り返しだと、僕は考えています。これまでも、そしてこれからも生きていく中で苦しいと感じる時期があると思います。時には心が折れそうになることがあるかもしれません。そんな時、成長という上り坂を登っているから苦しいのです。
逆にいうと、楽だなと思う瞬間があったらもしかしたら山の中腹で一休みしているのか、下り坂にいるのかもしれません。そんな時は一度自分の立っている場所を確認して、もし下り坂にいるように感じるなら次に登る山を探してみるといいと思います。
また、人それぞれ置かれた状況は異なります。経済的な状況や、今回のような予測不可能なパンデミック、もしかしたら恋に振り回されるかもしれないし、宝くじが当たるかもしれないし、いいことも悪いことも予定通りにはいかないことの連続です。そんな時は、途中でその山を登ることやめて違う山に登るのも僕はアリだと思います。
てっぺんから景色が見えるといいましたが、中腹からも実は他の山の景色が見え始めるからです。そして、そっちの方がいいかもと思ったら思い切ってそっちの山にチャレンジしてみるのもまたひとつの人生。
僕は4年間、土木学科で勉強していて、その後大学院の時に建築学科に移動しました。そして、建築家になりたいという思いは変化して、デザイナーになりたいと思い、現在に至ります。
はっきりいってかなり遠回りだし、一直線でデザイナーになれていればその方がいいと思いますが、遠回りして色々な経験をしたからこそ、本当にやりたいことに出会えたのかもしれません。
差し伸べられる手を、しっかりと握る。
登山の途中どうしようもなく苦しくなった時、登る山を変えようと思った時、その思いが真剣であればある程、きっとそばで応援してくれる人がいてくれます。人生の登山は一人で登るものではありません。孤独な一人旅ではないのです。家族だったり、友達だったり、同僚・上司だったり、誰かしらの力を借りながら登るもの。
道に迷いそうになっている時に道標になってくれる人、重い荷物を一緒に持って登ってくれる人、あと一歩で手が届くという時に崖の上から手を差し伸べてくれる人もいるかもしれません。身近な誰かが頑張っているあなたを助けてくれると思います。 僕は周りの人に助けられて、ここまで進む事ができました。
常に忘れないでほしいのは、その応援してくれる人を大事にすること。そうしていくことで、気がつかないうちに、自分自身も誰かの登山を助ける人になっているかもしれません。
ざっくりとしたまとめでしたが、2020年の講演会ではこのような内容をお話しました。改めてこうして文字に書き起こしてみると、決断するその時に「何ができるのか」 はなく決断するその時に「何がしたいのか」 という信念が、次に登るべき山を見るつける原動力になり、今の自分を築き上げてきたのかなと感じました。この考え方は苦しい時間も多いのですが、充実感はそれ以上です。
今回は僕自身の振り返りでしたが、少しでも何かのヒントになれば嬉しいです。